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音の運んでくるもの

渡部玄一コラム

静寂

まだバブルの余韻がわずかに残っていた90年代半ば、都心に大きな複合施設が建設され、そこにお城のようにゴージャスなレストランが出来ました。
どの様な理由であったかはもう覚えておりませんが、一度、父が奮発をしてそこでパーティーを開きました。

室内は予想通り豪華で、料理も美味しく、素敵な雰囲気で会は進んでいました。
しかしある時点で私はなぜかすっきりとしない違和感のようなものを感じ始めていました。
やがてそれが、天井から流されているBGMのせいだと気付いたのです。

その曲はクラシックの名曲とされている、あるピアノ曲でした。
そして私はそのロマン派の曲が、どの様な経緯で創作され、どの様な作者の精神を反映しているかを知っていました。
とてもじゃないけれど楽しい会食に供される作品ではなかったのです。

私たちは店に抗議をしましたが、全館のBGMを止めることは出来ないとのことで音量を下げさせることで我慢せざるを得ませんでした。
その時私は、今は亡きチェロの巨匠のトルトゥリエ先生がおっしゃっておられた事を思い出したのです。

大分昔、私は彼にジュネーヴで色々と教えて頂いたのですが、その時彼は、自分が日本のホテルの廊下に流されているBGMをいかに憎悪しているか、激しくお話になっておられました。
「あれは芸術の虐殺」だとおっしゃっておられたと思います。

私自身は、音楽が人々の日常の生活を彩ったり伴奏することが全ていけないとは思っていない人間です。
バロック期にはターフェルムジークという食事の時に供される為の音楽もちゃんと創られています。
ですからその時のトルトゥリエ先生のおっしゃり様は、ややエキセントリックで幾分偏狭なような気もしました。

しかし今の私は、先生のいらだちをその頃より遙かに共有することが出来ます。
私は至らないまでも長年音楽を自身の仕事としてやってきて、最近ますます確信を持って信じていることがあります。
それは音楽の真の母は「静寂」であるということです。

静寂こそが音楽の源泉であり、存在意義の元だと思っています。
「ない」が無いところに「ある」が在るわけはないのです。
一体どうして深い「無い」の認識無くして「ある」を豊かに感得出来るでしょうか?
ですから音楽を大切に思えば思うほど静寂が有難くなってくるのです。

さらには、音楽に真に没頭している時、実はあるひとつの静寂を聴いている、その様な境地というものがちゃんとあります。
また、優れた作品のなかには千や万の音を使ってある静寂を表現している、ということもあるのです。

「耳を澄ます」努力さえ怠らなかったら、この様な作品はいつでも「ある」ことの素晴らしさと、美の不思議と喜びを、尽きることなく開陳してくれるのです。
いい加減、さしたる意味もないところで取り憑かれたように音楽をかき鳴らし、静寂を虐殺するのはやめるべきです。
そして静寂というものをもっと能動的に大切にしても良いと思います。

無神経に音楽を人の耳に運ぶのはいけないことなのです。
少なくとも注意深くはあるべきなのです。
たばこの煙のように。

優れた演奏家は、今まさに音楽が始まる瞬間、そして消えていく瞬間をとても大事にします。
そして休符に万感の思いを込めます。

現代は、逆説でも何でもなく、都会で豊かな静寂に触れたかったら、むしろコンサート
ホールに行くのがよい、と言うことになってしまっているのです。

渡部玄一・文
「PAVONE」より転載