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音の運んでくるもの

渡部玄一コラム

分かるということ

私が日常携わっている音楽は、いわゆるクラシック音楽と呼ばれているものです。
ひと昔前は多くの人から特別扱い─良い意味でも悪い意味でも─されていたジャンルです。最近はテレビドラマの「のだめ」効果とやらで随分世間のイメージが変わってきて、以前よりは全般的に親しみを持たれて来たように実感しています。それは大変良いことだと思ってもおります。

それでも、新しく知り合った人などをコンサートにお誘いすると、「いやー、音楽は好きなんだけれど、クラシックは難しくてねー」とか「私には高尚すぎてもったいないですよ」と敬遠されてしまうことがまだあります。
実際コンサート後も「魂が震えた」とか「人生が変わった」などという激賞から、「二度ほど起こされた」「知っている曲がなくて残念だった」というような退屈感漂う感想を頂くことが同時に起こります。

私は後者の方を責めるつもりも感受性に対して文句を言うつもりもさらさらありません。私が後者になることだって十分ありうるのですから。そして私自身40年近く専門的にやってきてやっと見えてくるもの、やっと気付く事もあるのです。
それを一回のコンサート約2時間で、その場に居合わせた様々なバックグラウンドをお持ちの方々全員に、その音楽の持つ良さを十全に伝え、かつ理解して頂くことは至難です。
しかしながら折角「分かりたい」と思っている方にこの素晴らしさを分かって頂ける道筋はないか、そもそも音楽を分かるとはどういう事か、これはとても大切な疑問だと思います。

私は20代の頃、何度かヨーロッパをほっつき歩きました。チェロをどこかに起きっぱなしにして文字通りユーレールパス(ヨーロッパ汽車乗り放題のチケット)と荷物ひとつのバックパッカーになって。
主な目的はヨーロッパ中の絵画と教会を見ることでした。
イギリス、オランダ、ベルギー、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリア、スペイン等、もちろんまだ見ぬ名画は山の様にありますが、かなり頑張りました。

誤解のないようにお断りしておきますが、私は今も昔も絵画に造詣はありません。
特に当時は好きな絵画はフランスの印象派と浮世絵ぐらいで、あとはなんだかよく「分からなかった」のです。
なかでも宗教画は、実家がキリスト教徒だったお陰で絵のモチーフは分かるのですが、ほとんどの絵が上手ないい絵とは思えなかった、むしろ何が良いのかと思っていたぐらいです。

当時チェロで行き詰まっていた私は、釈然としない気持ちを持ちながらも、何か新たな人生の課題の様に次々と町を変え、来る日も来る日も石造りの教会の薄暗い光のなかに掲げられた絵を、睨み付けるように目撃し続けていたのです。
しかしそうこうしている内に、絵のことはよく分からないまでも、これだけの物を作り続けていた人々や心に、次第に敬意を抱くようになっていったのです。

ある日、フィレンツェでフラ・アンジェリコの「受胎告知」に出会いました。
全く予期しないことに私は自制を失うほど感動したのです。
その絵は数年前にも見ていたはずでした。でも、その時その絵が本当に「良い」と思えたのです。あの静寂と清潔と深い祈りが私の心を直撃し、前提条件なしの感動を体験したのです。
私は自分に対してむしろ怪訝な感情を持ちました。

数日後今度はパドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂を訪れました。そこには壁一面にジョットの絵が描かれているのです。ジョットは私が下手だと思っていた画家の代表格でした。
しかしその礼拝堂に入った瞬間、私は天国を感じたのです。
一面に独特の青で描かれた彼の世界。下手だなんてとんでもない、それよりこの素晴らしさはいったい何だ、とこれも我を忘れて感動していたのです。

その夜私は、安レストランで一人はっきりと納得していました。分かる、ということは良さが分かる、ということだ。
その絵が分かるということはその絵の良さが分かるということだ。私が人々の残した物に敬意を抱き「きっとこれは良い物なんだ」と信じ始めたから、その「分かる」がやってきたのだ、と。

長い時間人々が大切にしてきたものには、必ずちゃんと理由があります。人それぞれに、すぐに分かりにくいものもあります。
でもそういったものに興味を持ったなら、また触れるチャンスがあったなら、とりあえずこれは良いものだと信じる事が私は大事だと思います。そして繰り返し触れれば「分かる」は必ずやってくるのだと確信しています。
他人に対して、その人の悪いところを見つけたときの扇情的な感情の浅薄さに比べて、その人の良いところが分かったときの深い感情の確かさは誰もが経験していることです。

私はこういう事さえも、優れた古典や芸術作品が教えてくれていると思えてならないのです。

渡部玄一・文
「PAVONE」より転載